区分 | 詳細 |
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名称 | 革命のレシピ ~ネット時代の民主主義って何?~ |
日時 | 2016.04.15(金) | 対象地域 | 参加対象者 | 一般 | 定員/参加者数 | 約30名 | 参加費 | 1000円 | 地域デザイン7Step |
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リスト | 企画フロー | リンク |
概要
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「革命のレシピ」は、 「人類が未来の地球に生き残るために」という基本理念のもと、誰かに任せる民主主義から、自分で決める参加型民主主義を提唱するCrowd Government Labが企画プロデュースする、社会変革と市民自治の実現に向けたテーマ型シンポジウムです。
会場/地図
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イトーキ SYNQA
当日のタイムスケジュール
- ●第1部
19:00 開会挨拶
19:05 ゲストトーク
●第2部
20:00 パネルディスカッション
20:45 閉会
ゲスト紹介
- 【ゲスト】
- 西田 亮介氏
- 谷崎 テトラ氏
- 上保 大輔氏
【ファシリテーター】
運営
イベント報告
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2016年04月15日(金)、株式会社イトーキのイベントスペースSYNQAにて、第2回『革命のレシピ ~ネット時代の民主主義って何?~』が開催されました。
【背景】
本企画は、全2部構成で企画されました。
第1部は、ゲストである西田亮介氏(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)による、ネット時代の民主主義と現代日本政治をお話いただきました。
第2部は、Crowd Government Labより谷崎テトラ氏と上保大輔氏、ゲストの西田亮介氏によるトークセッション実施いたしました。
【第1部の様子】
第1部は、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授、西田亮介氏から、ネット時代の民主主義と現代日本の政治についてお話いただきました。
政治は、「情と理」2つの側面で構成されています。
情とはそれぞれの抱える思いや熱意、理とはロジックで構成されているもののことです。日本政治は情による政治が強く反映されています。「情と理」を踏まえ、西田氏が問題意識として抱える現代日本の政治状況は「統治のイメージ政治」と「抵抗のイメージ政治」が拮抗し合っていることにあります。
統治のイメージ政治とは
・今の安倍政権、自民党が戦略的な情報発信を行っている
・政治日程のタイムコントロールをしている
この2点によるイメージ戦略に成功していることを指します
抵抗のイメージ政治とは、官邸前デモのように「若くてカッコいい」、「音楽に乗った主張」のように、イメージに乗っ取って政治を変えようとする動きのことを指します。すなわち、統治のイメージ政治と抵抗のイメージ政治は、共にイメージを与えることによって政治を行っているということになります。現在の日本では、これらが拮抗している状態にあります。
次に生活者へ目を向けた話題です。
現状の日本では、生活者が民主主義とは何なのかを理解する共通感覚を持ち合わせていない状況にあります。また、政治をロジックで理解するためのフレームワークも存在していないため、一般の生活者は民主主義も政治もよくわからない状態にあるのではないかと推測されています。
本題の民主主義についてです。
1948-53年にかけて、中学高校を対象に正式な科目として「民主主義」というテキストが配布されました。この民主主義というテキストは、当時の法哲学者「尾高朝雄」氏の監修により作成されました。こちらのテキストは民主主義を政治のシステムと捉えるのではなく、政治と政治システム、そしてその周辺を取り巻くもの全てを含めて民主主義と唱えているテキストとなっています。
この尾高氏作による民主主義を踏まえ、メディアと自民党のアプローチについてお話をいたします。
自民党の現在の組織能力は非常に強いとされています。これは自民党が数々のスキャンダルを浴びてきたにも関わらず、支持率を下げなかった戦略性の高さから、相対的優位性を得たと結論付けることができます。また、その他の要因として、マスメディアからネットメディアへの変化、野党の対応の遅れなどが挙げられます。
次に日本のメディアの特殊性について挙げていきます。
日本のメディアは強力なマスメディアと弱いインターネットメディアの2つに分類されます。これは言い換えると、強力な組織ジャーナリズムと弱い個人ジャーナリズムとなります。日本は個人で請け負うジャーナリストの数が相対的に少ない傾向にあります。戦前から現在まで存続する歴史の長いマスメディアの存在や、政治とメディアがお互いに良い関係を結び続けてきた結果と言えるでしょう。
しかしながら、大手マスメディアが幅を利かせるということは、必ずしも良いことだけではありません。大手マスメディアに在籍する人々は、世に言うサラリーマンのため、早急に技術を革新させなくても生活に困らないという側面を持ちます。そのため、スピード感に遅れが生じます。これが日本のメディアの特殊性と言われる由縁です。
その一方、日本のインターネットメディアはあまり信頼されていないとされています。これはブログスフィアが日本ネット界では無形性であるとされているからです。わかりやすい例としてアメリカを出すと、ニューヨークタイムズのオンラインコラムに、ポールブルーム氏が政治を批判するエッセイを寄稿し、それに対し一流の知識人たちが反論する状況が整っていました。これは、オンライン上で一流の知識人たちが議論するのが当たり前という信頼関係の基盤が形成されているからです。それに対し、日本では一流の知識人たちがオンラインで議論を交わすことが少なく、目にする機会もありません。すなわち、日本ではオンラインの信頼基盤が形成されていないということになります。
政治とメディアと歴史背景を踏まえてお話しすると、2,000年代以前までは政治とマスメディアは慣れ親しみの関係を築いていました。これはお互いにインセンティブがあり、政治側は国民へ広く情報を発信しようとすると、どうしてもマスメディアのチカラが必要だったからです。また、マスメディア側も政治は花形として取り扱っていました。
しかしながら、1,995年からインターネットが爆発的に普及し、メディアのバランスが変わりました。簡易的に情報を発信できるインターネットの選択肢が増えたため、マスメディアの絶対性が薄れたのです。
それでは、以上のことを踏まえ、もう一度生活者に目を向けてみます。
現状、情報の受け手側にはリテラシーの課題と政治のフレームワーク、学習の機会、つまり参照点がないといえます。政治のフレームワークとは冒頭でも申し上げたように、政治側が政治の有益な情報を生活者側にわかりやすく伝え、生活者側がその情報をうまく読み解いていくフレームワークのことです。しかしながら、生活者側はそのフレームワークを持ち合わせておらず、学ぶ機会もありません。さらに挙げると、フレームワークの道標となる参照点、つまり共通感覚も持ち合わせていません。具体例を挙げると、民主主義と言われた際に具体的に思い浮かべる共通のものがありません。
アメリカの場合、建国の歴史や合衆国憲法がそれに当たります。
フランスの場合、フランス革命や自由平等の破壊があります。
このように、日本には民主主義と挙げた際の参照点がないとされ、政治教育に様々な問題があると見受けられます。これは憲法改正の物議とともに読み解かなくてはいけないと私は思います。誰がいかにしてこの政治状況を読み解き、生活者に伝え、政治に緊張感をもたらすのかということが曖昧なままになっています。この状況を打破する手がかりになるであろうものが、冒頭で申し上げた尾高朝雄氏作の「民主主義」なのではないかと思います。これは、日本人が初めて民主主義に向き合わざるをえなかったテキストと呼べるでしょう。このテキストの存在自体が、我々にとっての参照点になり得ると考えます。
【第2部の様子】※一部抜粋
第2部は、谷崎テトラ氏、上保大輔氏、西田亮介氏によるトークセッションを実施いたしました。
Q.投票をしようという呼びかけをしているが、共通体験と共通概念のなさを痛感しました。そういった共通体験がない中で民主主義はなりうるのでしょうか。
A. 投票率をあげること自体に実りがないと思っています。若年世代は数が少ないが、国際的に比較すると日本の投票率はそこまで低くありません。すなわち、投票率を上げることと、民主主義を確立することは目的が違うといえます。
Q.政治を一つのプラットフォームとした場合、インターネット上で学ぶことは可能でしょうか。
A. 可能です。ナレッジを習得する場所としては機能するかと思います。しかしながら、政治のコアな部分をオンラインで学ぶのも難しいかもしれません。
Q.民主主義において、日本が世界に対して率先してやらなければならないことや、世界に示さないといけないことはありますか。
A.我々はこの社会を75点くらいだと現状肯定してあげなければならないと思います。様々な課題があり、ハングリー精神すらないかもしれないが、この社会に意味があったとすること大事なのではないでしょうか。
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